日記
とてもとても悲しい夢を見て目が覚める。夫がいなくなる夢。夢の中で泣いて目が覚めても悲しい気持ちのままでべしょべしょに泣いてしまう。夫に「お父さんいなくなる夢を見た」と泣きながら話したら「ずっといっしょだよ」と頭を撫でてくれて、そしてそのまま大きな寝息を立てていた。
今日は土曜の授業参観。夫が起こしに来たけど、悲しい気持ちが続いて起きられないと布団の中から正直に答えたら「お父さんいなくなっちゃうよ!」と脅されて起きる。
朝ごはんは昨夜夫が作った豆乳のシチュー。
家のことを済ませて、夫と歩いて学校へ行く。先々週は平日の授業参観だった。有休を取って見に行ったわけだけど、授業参観多くないか。
娘の授業態度が不真面目でショックを受ける。夫がニコニコ見守っていて苛立ってしまう。
1時間目はプログラミングの授業。虚しさを感じる内容。
小学四年生は本を読んだり、外で身体を動かしたりオセロやトランプで楽しむことを優先させていいのでは。プログラミングに興味のある子はもちろん、やればよろしい。
子どもと下校後、隣の市にある道の駅へ。干し芋フェスティバルっていうのをやってるんだってと夫から誘ってくれたのだった。私がさつまいも大好きだから。こういう提案は愛を感じて嬉しくなる。
道の駅でお昼ご飯。窓から白い鳥が飛ぶのを何度も見られて幸せになる。
これから悲しいことや腹の立つことがあったら、白い鳥が羽ばたく姿を思い浮かべよう。私の白い鳥。
あの鳥はなんという鳥なのだろう。調べると白鳥のようだったけど。美しく飛んでいた。群れで飛ぶ姿も見られたのでとても嬉しい。
食べてる時によそ見しないの!と夫から子どもみたいに怒られながら写真も撮る。なんだかまったくわからない。

干し芋をたくさん買って、足湯も堪能して帰宅。

夫ご飯。
鮭とさつまいもと青菜の何か。ローズマリーがきいていておいしい。
豚汁は夫の一番好きな食べ物らしい。
最後の食事は豚汁がいいとのこと。

図書館でなんとなく手に取った本。
アフリカの小説って読んだことないなあとなんとなく。夜読了。
とても良い小説だった。アフリカが、植民地が、先進国が後進国が、といった題材にももちろん考えさせられたし心を揺さぶられたり打ちのめされりしたのだけど、読後は一日一日をしっかり生きよう、ちゃんと考えよう、どう生きていくかをきちんと考えよう、忙しさで忘れがちなことこそに、私が考えるべきもの好きなもの大切なものがある、といったことを考えたのでした。
期末テストも終わったということで友達の家に泊まりにいっていた長女は夜帰宅。中学時代は友達とうまくいかないことがあって泣いたり悩んだりしだけれど、高校は良い出会いがあって本当によかった。
わたし最近情緒おかしいのかも、夢を見て泣いたりするなんて、と言ったら「前から安定してないよ、通常運転だよ」と太鼓判を押してくれた夫は眠い眠いと言って先に就寝。年寄りのようなタイムスケジュールになった夫がすごく愛おしい。
今日は悲しい夢を見ませんように。私も家族も友達もみんな。できれば世界中の人がみんな。
柔らかに話そう
仕事中は外の自分なのでいろいろ意識するけれど、家族や友人達と会話する時はほぼ無意識に口を突いて出た言葉をそのまま話している。
改めて振り返ると自分のワードチョイスとか、声のトーン、早さなどどれをとっても「かわいい」とはかけ離れている。これじゃいかんと最近よく思う。
体重を落とすとかこりをほぐすとか、そうした改善は時間がかかるけれど、話し方は今この時から変えられる。お金をかけずにできる改善。今すぐやろう。
高い声でキャッキャと話すのが良いというのではなく、相手が心地良いと感じる話し方を心がけたいと思う。
ゆっくり、落ち着いて、聞き取りやすく。強い言葉は使わない。汚い言葉を使わない。
そしてほんとにこれは反省だけど、45にもなって「やばい」とか言わない。
若ければ使っていいというものでもなく、次女が使っていたら注意するけど(高校生は仕方ないかと長女は見逃し)
立派な大人が「やばい」はまずいでしょう。
まあ大変とか、どうしましょうとか、言いようは他にある。
優しい言葉を使う、柔らかく話す人になろう。
そういう意味でも憧れは緒川たまきさん。ソリトンsideBで初めて見た時に心を打ち抜かれたのは美貌はもちろん言うまでもないけれど、たまきさんの話し方が本当に素敵だから。教養やユーモアだけでなく、美しい心を持っていて、そして美しいものを好きな人なんだろうなと、そう思わせる話し方をされていた。
あとカヒミちゃん。別世界の話というか、私が今更こんな話し方をしたら家族がびっくり仰天だろうな。
とてもかわいくて素敵だけれど、自分のキャラクターに合わなさすぎること甚だしいので、こちらは憧れだけで。
高校生の頃「ミュージック・パイロット」を聴いていた。カヒミちゃんが話すだけで、もう違う世界のようだったな。
かわいいを取り戻す
私は1日に何度も「かわいい」という言葉を発している。
子ども達にも夫に対しても、なにかというとすぐに「かわいい」という言葉が口をついて出る。「かわいい」「かわいい」と言っている。多分言い過ぎだと思うけど、自然に言っちゃう。
表情がかわいい、声がかわいい、服が似合っててかわいい、仕草がかわいい、発想がかわいい。描いた絵がかわいいなどなど。
かわいいは私にとって好ましく居心地よく感じられる時に発せられる言葉なんだな。
私のまわりは「かわいい」であふれてる。
まわりは。
私自身は、ちっともかわいくない。
私は私に対して好ましくなく居心地も良くないという何とも悲しい状態なんだな。
だから毎日なんとなくだるくてやる気がないのかな。
私が私を好ましく感じてないから。
家族がかわいいので幸せな毎日何だけど、いまいち満たされないのは、私自身の問題な気がする。
私も昔はかわいかった。
たとえばりぼんの付録をずーっと眺めていた頃は、自覚はそりゃないけど、かわいい少女だった。自分の好きなもの、かわいいと思うものに、無限に時と心を捧げていた。
今は親となり、子どもの友人関係や受験のこと、家のローンのこと、将来受け取る年金のことなどでいつもいつも悩んでいるし、
家庭のことで悩んでいない時は仕事のことで悩んでいる。サイコパスな上司のこと、仕事もせず寝ている後輩のこと、パートさんたちの時給のこと、新卒採用のこと、などずっと悩んでる。
自分が自分に向き合う暇がないので、かわいくいられる余地もない。
かわいいを取り戻したいと思う。
津原やすみ先生へ伝えたいこと
「大人だって読みたい!少女小説ガイド」の津原泰水さんのインタビュー記事。
泣いてしまう、こんなの。
自分がどんな人生を辿っていくのか、自分が生きていく世界がどんなところなのか、まったく分からない、考えることすらできない子ども時代に、こんなに良い作品と出会えた幸運よ。本当に大好き。
「読者は80年代の良くも悪くも軽佻浮薄な文化の中で育った女の子たちでしたが、僕自身はその時点での彼女らの嗜好に寄り添うのではなく、数年後の、より見聞を広げた自分に出会わせてあげたい、といった意識でいました」
「成長するにつれ、輸入文化や伝統的文化との付き合いが否応なく生じていく。その通過点にいる女の子たちに、本物ではないにせよ、できるだけ良質な情報を提供したい…というと、上からの物言いになっちゃうんだけど、分をわきまえた善意が根底にあったと思っています」
津原やすみさんのその善意は確かに届いていて、あたしのエイリアンを読まずにいたら、わたしの人生はだいぶ困難なものになっていたと思う。
受け取ったことを伝えたいのに津原泰水さんは亡くなられていて伝えられない。
インタビューを読んで高まったので、土曜の午後は津原やすみタイム。
「恋愛国の恋愛姫」「素顔にkissして」
完成度の高さといったらない。
10代だった私は笑ったりグッときたりキュンとするシーンは読み返したりしてたけど、45になった今も!同じ!
するする読めて深く残る余韻。
津原やすみ先生が作ってくれた世界に今もいける幸せよ。
ありがとうございます。